インタビュー

ヤマロク醤油代表・山本さんに聞く——目を向ける先は常に次の世代。つながりながら新しい価値をつくりだす。

大阪経済大学にとって「創発」とは、一人ひとりの考えや行動が相互作用し、新たな価値が生まれることを意味します。では、「DAIKEI 2032」のミッションに掲げられている「生き続ける学びが創発する場」になるためには、何が必要なのでしょうか。山本俊一郎学長が学外で創発を実践する人たちのもとを訪れ、創発を起こすためのヒントを探ります。今回は、山本学長のふるさと小豆島にある木桶仕込みの醤油メーカーとして国内外にその名を知られるヤマロク醤油株式会社代表取締役・山本康夫さんをお訪ねしました。

対談者

山本 康夫さん

やまもと・やすお。香川県小豆島町で約150年続く醤油メーカー、ヤマロク醤油五代目。大学卒業後、佃煮メーカーの営業職を経てヤマロク醤油に入社。2年後、父の病気で事業を受け継ぐ。木桶仕込みの醤油という伝統を次の世代につなぐため、多くの人を巻き込んだ革新的な取り組みを続ける。木桶に使われる巨大なタガを使った「タガフープ世界選手権」などPR戦略の発想もユニーク。

伝統は駅伝みたいなもの
たすきをつなぐために何ができるか

学長 ヤマロク醤油さんに学生を連れてお邪魔したのは、もう10年ぐらい前でしたでしょうか。新しい木桶を新たにつくられたと聞いて見学させてもらいましたね。なぜ今木桶をつくるのかと聞いた時、100年先を見て今やらないといけないことだからだとお答えになったのが印象に残りました。

山本 うちの経営理念は「子や孫の世代に『木桶仕込みの本物の醤油』を残し伝えます」なんですね。うちの会社では目先のことより次の世代。次世代に残すための行動しかしないんです。自社で木桶をつくることになったきっかけは、10年前、うちの木桶が寿命と言われる150年を経過していることがわかったからです。手づくりの杉の大桶は1本500万円しますし、何より杉樽職人が2009年当時で国内に4人ほどしかいなくなっていました。伝統って駅伝みたいなものだと思うのです。今商売ができているのは、私が知らないぐらい昔のご先祖さんがものすごくいい桶をつくってくれたから。私はたまたま醸造用の桶をつくる職人さんがいなくなる代にたすきをもらった。息子やその次の代に桶職人がいなくなり、たすきがつなげなくなることがないように、何ができるのかを考えたんです。

学長 それが、「木桶職人復活プロジェクト」だったんですね。

山本 はい。大阪・堺にある最後の桶屋さんに新桶を3本発注し、それを使って桶づくりの技術を学ぼうと、地元の同級生の大工たちと一緒に桶屋さんに弟子入りしました。ただ、伝統を守らないと、という思いだけでもなかったんです。醤油屋が絶えそうになっている木桶づくりを受け継ぐって「面白い」と思いました。常に次の世代のために行動するんだけど、行動の基準は「面白いかどうか」。簡単だけど面白くないことって、すぐできるかもしれませんが続かないですよね。逆に大変なことでも、これができたら面白いよなということは続くと思うんです。

木桶づくりの様子。伝統を絶やさぬために、自ら桶屋に弟子入りして技術を学んだ

学長 伝統を引き継いでいるんだけど、やっていること自体は新しいですよね。

山本 視点は何代か先に置いて、そのために自分の代でどんな手を打つかを考えるんですが、その手は新しいほうがいい場合もあります。伝統と革新ですね。変えてはいけないことと、変えなければいけないことを精査しています。木桶で醸造するというのは変えてはいけないことですけど、もろみの管理法は変えています。昔ながらの製法を守って麹菌や酵母菌にしっかり働いてもらうためにどうしたらいいか、日々工夫しているんですよ。昔と違って現代は温度や湿度をきちんと測って管理できるので、そういう時代に合わせて変えるべきところはどんどん変えています。

学長 それは経験から得た気づきに基づいて、ということですね。

山本 そうです。いろいろと疑問に思ったり気づいたことが出てくるので、納得のいくまで確かめてみて確信に至るというか。私は高校生の頃から、いろいろと突っ込みを入れる癖があるんです(笑)。渋滞中の車の中で目を引く看板を見つけたら「なんでここにあんな色使いの看板を付けようと思ったんやろ」と考えたり、お昼を食べに行っても「あの店員さん、なんであんな無駄な動きをしているのかな」と気になったり。そういういろんなできごとの理由について、仮説を立てて検証したり解決策を考えてしまうんですよ。分析が好きなのかな。東京で1万人を集めたイベントがあったというニュースを聞くと、人口1300万人の東京で1万人だったら、人口2万5000人の小豆島で500人集めるうちのヤマロク祭りのほうが集客しているなとかね(笑)。ヤマロク祭りというのは、うちで年に1回開催している感謝祭なんですけど。

学長 なるほど。そんなお話を聞くと、目の前のものにフォーカスするだけでなく、俯瞰的、客観的に物事を見る視点があるなと感じますね。

山本 確かに両方の視点を持つことは常に意識しています。

学長 もろみの管理法の改革とかいうことになると、全部の桶を一度に変えるのは勇気がいりますよね。

山本 確かにリスクはあるのですが、全部変えてしまいます。おそらくこういう理由でこうすれば味にこのような変化が出るはずという、自分の中に根拠のない確信があるんです。

学長 変えるのは、もちろん美味しくしたいからだと思いますが、ある意味、リスクをとってでも変えているんですよね。

山本 うちの醤油をずっと使ってくれている人が気づかないぐらいちょっとずつ美味しくしたいんです。実はちょっとずつちょっとずつ美味しくなっていて、10年使っていると「あれ、私、料理の腕が上がったのかな」と思うぐらい美味しくなっている、みたいなのが理想なんですね。だから、美味しくなることをずっと考えている。うちのメイン商品である「鶴醤」は再仕込み製法と言って、生醤油を1~2年熟成させた後もう一度桶に戻し、仕込塩水の代わりに醤油の中へ大豆と小麦を加えてさらに2~3年仕込むというやり方で完成までに4年をかけます。絞る時に3年物、4年物、5年物をブレンドするので、劇的に味の変わるやり方をしても4年間かけてじわっと変わるんですね。あと、基本的に蔵の菌に任せておけばちゃんとうちの味に近いものにしてくれるという安心感もある。醤油を絞る時、いつもちょっととってなめてみるんです。醤油の仕込みを始めて20年になりますが、いまだに「いや、うまいなー」って思います。常に去年よりうまい。自画自賛ですけど(笑)。

学長 お話を聞いていると、早くその醤油を味わってみたくなりました(笑)。

完成までに4年かかるヤマロク醤油の「鶴醤(つるびしお)」

4年間で厚みと個性を引き出す
醤油づくりと大学教育の共通点

山本 うちの醤油は業務用が5%ぐらいなんです。一般的な醤油メーカーは業務用85%ぐらいなのでかなり異質ですよね。それは、うちの醤油は濃くて自己主張が強いので料理人には使いづらいというのもあるんだと思います。木桶の醤油はクラフトビールみたいにそれぞれ特徴が出るんですけど、最近、醤油の味は社長の性格に似てくると思っていて(笑)。

学長 それで濃い(笑)。蔵の中のいろいろなものが影響しているとかでしょうか。

山本 菌って、発酵してプチプチしている時に人が近づくと音が大きくなるんですよ。社長の性格に似てくるのは、蔵の菌が社長を見ていて自然とその姿に近い発酵になるのかなと思います。

鶴醤を醸造する木桶が並ぶ蔵。登録有形文化財にも登録されている

学長 鶴醤をつくるのに4年かかると聞いて、学生も4年かけて育てるなと、妙に共通点を感じてしまいました。蔵の菌とか空気とか社長の個性とか、周囲のいろんな環境が融合してつくり上げられるところも非常に似ている気がします。

山本 醤油は4年間ですごく変わるんですよ。1年目は薄っぺらくてしょっぱくて幅がない感じなんですけど、年を経るごとに菌の発酵によって旨味と厚みが出てくるんです。人間も、経験することによって厚みが出るのでしょうが、その経験する内容やその受け止め方とも合わさってそれぞれ違った個性として出てくるんだろうなと思います。

学長 ゼミなんか指導教員の影響をより受けるから、特にそういうところがあるのかもしれません。今、大阪経済大学の学風として実直で素直で真面目な学生が多いという評価をいただいていて、それはすごく素晴らしいことなんです。ただ、逆の見方をすると、目立ちたがらない、大人しい、一歩前に出られない学生が多いとも言えます。そのあたりを克服したいと、4年間で自信を持った就職偏差値の高い学生に育てる、ということをアピールポイントにしています。

山本 大学時代って何を経験するかによって変わる時期ですよね。私自身は、そこまで前に出ていくタイプではなかったのですが、大学時代に無理やり前に出されるような経験をして、その中で個性を出す癖がついたような気がします。自分の強みをどう出せるかは、置かれた状況によって変わるとは思うので、その意味で大学時代の環境って重要だと思いますね。

「The First」で挑める人を育てるには
ゼロから一をつくり失敗する経験が大事

学長 製造に4年かかるから、経営でも常に先を見て動くということですね。

山本 そうですね。常に、4年後までの生産量が決定している状態で簡単に生産調整ができないため、先を読んで動くことはとても大事になります。原料の北海道産小麦なんかは播種前取引と言って種まき前に発注しますから、6年後の需要を見越しています。

学長 新桶も計画的に増やしていかれたんでしょうね。

山本 この10年ぐらいで60本ぐらいつくりました。再仕込みはつくるのに時間がかかりますから、それに切り替えていくと生産量が減っていくんです。今、再仕込みの鶴醤が8割を占めるので、新桶を増やして計画的に生産量を増やしていますが、それでも以前の2割ぐらいしか増えていません。コロナ禍が来る前までずっと醤油が足りなくて出荷制限していたぐらいでした。コロナ禍で観光客が減ったので出荷制限は解除しましたが、新規のお取り引きはお断りしている状態ですね。

学長 伝統と革新ということで、販売先も変化させてきたのでしょうか。

山本 私が20年前にうちに入社した頃と今とでは、お客さんが99%変わっています。帰ってきたとき親父は継がなくていいと言ったのですが、決算書を見てその言葉の意味がわかりました。「これでは飯は食えんわ」という経営状態だったのです。木桶の数しか生産キャパシティがないのだから、経営改善には単価を上げるしかありません。そこで、木桶でつくりながら添加物を入れて価格を下げている醤油が4割あったのを、徐々に減らしてゼロにしました。さらに手間に見合うように瓶を小さくし、単価を上げていきました。次の段階では利幅の上がる直販を始めました。蔵に見学者を受け入れて観光客に買ってもらうようにし、インターネット通販の比率を上げました。観光の売上は4割弱にまで伸びていたのですが、コロナ禍になった2020年2月、3月は売り上げが落ちました。そこで巣ごもり需要を狙って「家族で美味しいお料理をつくって楽しみませんか」とDMを送り、インターネット通販でマイナス分をカバーすることができました。結局2020年は売上では2割減でしたが、利益は過去最高でした。利幅のいい販路が増えたからです。

学長 判断の素早さというか、切り替えのタイミングが大事なんですね。

山本 コロナ禍前から、昔からのお客さんであるスーパーや百貨店などの小売店や客単価の低い飲食店の売上は減ってきて、インターネット通販と海外が伸びてくるだろうと予想していました。コロナ禍で、時代の流れが3年から5年ぐらい進んだ感じでしょうか。それで、現在はインターネット直販はやめ、輸出に力を入れるようになりました。日本だと醤油は日用品ですが海外では嗜好品ですから、高級食材としてのマーケットがあります。うちは零細企業なので自分たちの勝てるニッチな市場で勝負していかないといけないと考え、ずっと販路を模索してきました。今年の春くらいからその成果が出てきて、輸出が順調に伸びてきています。

学長 経営については独学なんですよね。

山本 戻ってきて2年後に突然親父が倒れ、いのちは助かったのですが仕事はできなくなりました。そこで代替わりしたので、何もかも独学でした。大豆や小麦の仕入れの仕方もわからないぐらい。でも、だからこそスパッと変われた、ということも言えます。

学長 単価が高くても売れるという方向へのシフトが、たぶん他より断然早かったから実現できているのでしょうね。

山本 私の座右の銘は、「The First」なんです。ナンバーワンはいつか抜かれるしオンリーワンはいつか真似されるけど、一番はじめにやったという事実は抜かれもしないし真似もされないですから。

学長 そういう人材に学生にもなってほしいのですが、今、若者たちはみんな周囲を見て当たり障りのないように生きている気がします。昔から出る杭は打たれるとか言いますが、今はそれで委縮してしまう傾向がひどくなっている気がします。

山本 出る杭は打たれるけど、出過ぎたらもう打たれませんからね。最近の若い人がかわいそうだなと思うのは、0から1をつくり出す経験をしていないし、失敗をしていないということです。昔は失敗を許容する雰囲気がもっとあったと思いますが、今は、失敗しようものならネットなんかで袋叩きにされてしまうから、それも委縮してしまう要因の一つでしょう。私が経営を始めた頃、小豆島には30代、40代の若手人材が育つ場がないと感じていました。それで、日清食品の前社長で小豆島出身の中川晋さんにお願いして、中川塾という経営塾を何人かで立ち上げたのです。それを前身として、2018年からは小豆島町主催の取り組みになりました。中川塾は、45歳以上は金だけ出して口出すなというのをルールにして、若手に自由にやらせて失敗できる場にしています。若い人の発想や意見が通らないということがないよう、私たち50歳前後の人間が楯になれればと思っています。

ヤマロク醤油の山本さんは、若者たちが失敗できる場づくりにも取り組んでいる

学長 醤油は小豆島の地場産業ですから、やはり、自社のことだけでなく地域全体の活性化というようなことを考えていらっしゃるんですね。

山本 小豆島の人口動態は日本全体の30年ぐらい先を行っている感じで、びっくりするぐらい若い人がいなくなっているんです。そういう目で見ると、食に関わる産業がこれからどう進んでいったらいいのかが見えてきます。ごく単純化して言えば、自動化して人を減らして安くつくるのか、付加価値をあげて従業員に高い給料を払えるようにするのか、ということですね。うちは後者の道に進むことを選び、食文化として残れるようなブランディングをしていったのです。5年ほど前にパートさんの時給をまず1,200円にし、次に1,500円、最終的には2,000円にするという目標をノートに書いたんですけど、今年ようやく1,200円が達成できました。

学長 なるほど、食に関わる産業のこれからという意味では確かにその二つの方向性になってきますよね。そのこととは別に、私はここで生まれ育った人間として、小豆島でよかったなとは思います。遊び心とか発想とか、小さい頃からの経験が生きているのかなと思うことがあります。

山本 今、ここで子育てしていて思うのは、子どもがいろんな世代の人と触れ合う環境があるのがいいと思います。例えば小豆島駅伝って男子・女子・学生みたいな区分がなくて、練習する時も中学生からいろんな世代が一緒に練習します。地元の祭りも生き残っているから、青年団の人なんかにいろいろ教えてもらったりもしますし。

学長 様々な職業の人がいて、画一化していないのがいいですよね。

多様な人がフラットにオープンに活動
カオスの中で起きるイノベーション

学長 大阪経済大学では、100周年に向けてミッションやビジョンを定めたんですね。そのキーワードが「創発」というんですが、この言葉に山本さんはどんなイメージをお持ちでしょうか。

山本 創発という言葉を聞いた時に思い出したのが、木桶職人復活プロジェクトのことです。最初は同級生の小さな集まりだったものが、この10年に渡る活動で300人以上にまで増えました。木桶でつくる商品の国内流通量を1%から2%にしようという目標で、ライバル同士が同じ志を持って連携しているんです。2020年からは1月に木桶による発酵文化サミットを開くことになって、メーカーや食関連のスペシャリストが昨年は3日間で延べ600人が集まりました。そこで世界の醤油市場の1%をめざそうという目標を掲げたのですが、正直なところ達成できるはずのない数字でした。でも、言ってしまうと動き出すんです。農林水産省の人が木桶の調味料を世界に売り込むプロジェクトチームをつくってくれたり、広告代理店やコンサルタント会社が協力してくれることになったり。さらに木桶仕込みの醤油メーカー25社を中心に商社、発酵関連企業、大学教授、海外の輸入業者や飲食店も一緒になって、海外輸出を促進するコンソーシアムを立ち上げ農林水産省の補助金も受けてPR活動を進めています。世界各国からバイヤーが集まる国際食品・飲料総合展示会「FOODEX JAPAN 2021」にも出展しました。今年は国連総会の後に開かれた日本大使館のレセプションでイベントをやるなど、海外のイベントも3つぐらいやっています。

学長 ずいぶん大きな活動になってきているんですね。

山本 知らない間に、すごいイノベーションが起きているんです。今ではもう、関わっている25社が他メーカーの商品もすべて説明できます。バイヤーの望んでいるものを聞いて、一番マッチするメーカーの商品を紹介できるまでになっています。みんなの醤油が売れるように、自分の立場として何をすればいいかを考え出せる仲間意識が根付いてきました。私たちのように同一品目多産地の連携というのはどうしてもライバル同士になるので、どの業界にもない取り組みなんですね。

木桶仕込みの醤油メーカー25社が力を合わせ、国際食品・飲料総合展示会「FOODEX JAPAN 2021」に出展

学長 ライバルであり仲間である連携ができあがっていると。

山本 プロジェクトを振り返ると、いろんな人が集まって桶をつくって「めざすのはこっちだよね」とワーッとやってるうちに、普通では起き得ないイノベーションが起きました。こういうのが創発ではないのかなと思います。サミットに集まったのは、醤油メーカーだけでなく、味噌、酢、みりん、日本酒のメーカー、問屋、バイヤー、醤油を使う料理人、ラーメン屋さん、料理研究家までもう多種多様な人たちです。カオス状態になって話をして、飲んだり食べたりして垣根がなくなる。そういうノリの中でいろんなアイデアが生まれ、「それ俺やるわ」と得意を生かす人も出てきて、どんどん面白いことになっていくんです。

学長 上下関係のないフラットさ、オープンさ、寛容さが創発を引き起こすんでしょうね。今後まだまだ、何か全く違う動きが出てきそうですね。

山本 そういえば、今年から網走刑務所とコラボしているんですよ。木桶をつくる技術を受刑者に教えてくれないかと網走市から問い合わせがありまして。北海道は梅雨がないでしょう。梅雨時期は本州では湿気が多すぎて桶づくりには向いていないので、ちょうどいいなあと。それに、北海道の新鮮な海産物を小豆島の佃煮の技術で炊いたらおいしいものができそうだなという思いもありまして。なんか、うまくいく気がするんですよね。

学長 素晴らしいですね。今の時代、結びつけるという発想がとても大事です。普段から考えているからこそ生まれてくるんですね。今日は、本当にいろんな学びがありました。これからも、山本さんの発想からどんな活動が生まれてくるのか楽しみにしています。