インタビュー

「教える」だけが教育ではない。学生と教職員が創発する大学をめざす教育ビジョン。|Top Message #02

教育ビジョン

自ら学びをデザインできる学生を生み出す

予測困難な時代を生き抜くために、主体的に学ぶ姿勢をはぐくみます。
多様な体験で得たものを発表・議論する場を設け、さらなる学びへ発展させます。


「自ら学びをデザインできる学生」を生み出すという教育ビジョンは、「変化が予測できないこれからの時代には、答えがなくても自分で考え進んでいくことが必要になる。そのために、情報を常にアップデートし自分でスキルを向上させていける力を学生のうちに身につけてもらおう」という考えからスタートしました。

ワーキンググループでは、「そのために、大学で何をどう教えればいいのか」というところを掘り下げていきました。「何を」は、比較的考えやすいテーマでした。単なる知識を学んでも、今ならたぶん10年ぐらいで陳腐化して役に立たなくなってしまうから、知識そのものではなく「学び方を学ぶ」ことが大事だろう。学んだことを課題に合わせて置き換え整理し、実践に結び付けられるような力があれば、世の中が変わってもずっと成長していけるよね、というところにまとまりました。

一方、「どう教えるか」のほうは、結構、議論しました。知識を教えることはできるけれど、学び方は、従来の一方向から伝えるだけでは身につきません。そこから、「そもそも大学教育とは『教える』ことなのか」という疑問に突き当たりました。「自ら学びをデザインする力」は、学生はもちろん社会を生きている教職員にこそ必要なはずです。学生に教えるというより、むしろ、教職員と学生とが場を共有し一緒に考えることから何かが生まれるのではないか。その瞬間に立ち会いながら、自分に必要な学びを獲得していくものなのではないか。つまり、ミッションに掲げた「創発する場」が源泉なわけです。創発の場を設けることで、自ら学びをデザインする学生を生み出す。ミッションと教育ビジョンのつながりが明らかになっていきました。

コロナ禍でオンライン授業が一般的になった今、改めて「その大学で学ぶ意味は何か」が問われています。いい教材ならYouTubeとか、MOOCsとかいろいろありますが、学生がそれを求めているのかといえば、違う。やはり教員と対話し、同じ空間にいることに価値を求めているからこそ、大学に行くのではないでしょうか。そこでは教員も、ものを考えるということにおいて学生と対等の立場であるべきでしょう。教員が知っていること、経験したことを伝え、それについて学生がどう考えるのかを受け止め、一緒に考え、生み出していく。そんな「教育」を、大経大でやらなければいけないと思っています。

社会では、もうそんな教育へと変わっていこうとしています。「反転授業」と呼ばれる、家で予習をしてきて、教室では考えたことを討論するというスタイルです。教育の場では、議論を回して盛り上げるファシリテーターを教員が務める形態がしばらく続くでしょうが、究極の目標は、学生がファシリテーターの力を身につけていくことでしょう。誰が先生なんだかわからないような中で、何か新しいものが生み出されていく。それが楽しくできる、というのが大学なのではないでしょうか。

そんな場にする早道の一つが、垣根を取っ払うこと。たとえば、教員が他の教員の授業を見に来たり、学生も出入り自由にどんどん好きな授業を聞きにくるような。コロナ禍が落ち着いてもオンライン授業をやめるのではなく、いろいろなゼミに参加できたり、授業をつまみ食いするように受講できたり、他大学の学生と一緒に授業を受けたり、学びをもっと開放する仕組みとして進化させることを考えていきたいですね。

創発に良い影響を与えると思うのが、大経大が、教員と学生との距離が近くてアットホームだと言われていることです。皆さんは言われ慣れているかもしれませんが、この規模の大学には珍しい誇るべき特色でしょう。そこにどんな要因があるのか、良さを十分に突き詰め伸ばしていくこともできると思います。

まず教職員自身が教える・教わるの関係を捨てて、誰からも学ぶ姿勢を持つことがとても大事なのではないでしょうか。相手の考えをしっかり受け止め、自分の考えをそこから広げていくような対話が、至るところで生まれるような大経大にしていきましょう。